天の川の少女

「ねえ、天の川は、どれくらいできた?」

「まだまだ、半分もできてはいないよ」

「そう……」

 紫色の花冠をつけて、星屑を織っていたのは、月に住む少女でした。

 透けるほどに薄い羽衣を身にまとい。

 その羽衣もまた、夜の闇に溶けるように、紫の色をしています。

 花の形に織った星屑は、目には映らない空の川に浮かべて。

 少女は、天の川を創っていたのです。

「今日は何が見えているの?」

「満月だから、森でお祭りをしているよ」

 それは途方もない仕事でした。

 けれど、それが少女に与えられた仕事だったのです。

 少女は嫌な顔ひとつせず、たんたんと織りながら、

「村は見える?」

「ああ、煙突から、たくさんの湯気があがってる」

 少女の細い指先に、ちろちろ輝く星屑がたぐり寄せられます。

 その瞬きは、うつむく少女の薄桃色の頬を照らしました。

 栗色の髪を照らしました。

 そして瞳も。

 その美しさは、何にも例えようがありません。

「今日は? 今日は何が見えてる?」

「今日は何も見えない。新月だからね」

 少女は自分が美しいことを知りません。

 幼い頃から織っていた星屑の光に、目が見えなくなっていたのです。

「そう。……今日は新月だったのね」

 その目に何も映らなくても、指先は仕事を忘れたりはしません。

「ああ、今日は新月だ」

 煌々と光る月だけが、少女のことを知っていたのです。

 少女はそうして、いつまでもいつまでも、星屑を織りつづけていたのです。

 少女は、ほんとうは人の子でした。

 少女をつれてきたのも、羽衣でつつんだのも、栗色の髪に紫の花冠を載せたのも、月。

 少女に天の川を創ることを教えたのも、星屑を織る仕事をさせているのも、そのために目が見えな

くなってしまったのも。

 そして少女に話しかけるのは月だけでした。

 少女が月に住むまで、月はいつでも、ひとりぼっちでした。

 話しかける相手も、話しかけてくれる誰もいなくて、空の上から静かにながめることが、月の仕事

「静かだ。ここには風のそよぎもなく、花もなく、ただ静かに時の流れていくばかりだ」

 月は光の帯をたらし、その先にあるものをながめていたのです。

 少女はそこにいました。

 光の帯の中に。

 母親に捨てられた赤ん坊が、光の帯の先で泣き叫んでいたのです。

「さあ、おいで」

 月はその帯をたぐり寄せました。

「ここにおいで」

 少女は月に育てられたのです。

 風のそよぎもなく、花もなく、ただ静かに時の流れていくばかりの月の上で。

 月は話しかけ、抱え、あやします。

「わたしのおとうさんは?」

「……しらない」

「わたしのおかあさんは?」

 惜しみなく与え、包み、祈るように、

「わからないんだ」

「……そう。でも、わたしには、与えられた仕事があるわ。果たすべき仕事があるわ」

 空の川を、星屑の花で満たすことは、少女のたったひとつの夢であり、希望でした。

「想像できるわ。目の奥に」

 見えない瞳の奥に、輝く天の川を浮かべながら、少女は織りつづけます。

「ねえ、天の川は、どれくらいできた?」

「もうすぐだよ」

「今日は、何が見える?」

「今日は……」

 月は言葉をつまらせました。

 光の帯の先に、こちらを見上げる青年を見つけたのです。

 月を見るその瞳には、たしかに少女が映っていました。

 だれの目にも映るはずのない少女の姿が……。

「あっ」

 そういったのは少女でした。

「あれはだれ? だれかが、わたしを見ているような気がするの」

「気のせいだよ」

 月は雲を引き寄せ、青年の目から少女を隠します。

「そう……」

 少女の細い指先に、輝く星屑がたぐり寄せられ、その瞬きは、うつむく少女の頬を照らし、髪を照

らし、瞳を照らし、

「兄さん……」

 その瞳から流れる涙を照らしました。

「兄さんだって?」

「そんな気がしただけ。兄さんが、わたしをさがして、そして見つけてくれたような、そんな気がし

ただけ」

 少女の手がとまることはありません。

 青年は次の日も、また次の日も、月を見上げていました。

「何が見える?」

 そのたびに月は雲を引き寄せ、少女を隠します。

「煙突が……、そう、煙突が見えるよ。たくさんの湯気があがってる」

「ほかには? ねえ、だれか、わたしを見ている人はいない?」

「いない。月を見上げる人はあっても、だれにもお前は見えないんだよ」

「ほんとうに?」

「ああ、ほんとうだとも」

 時は流れていきました。

 風のそよぎもなく、花もなく、ただ静かに。

 それでも青年は、月を見上げていました。

 月にいる妹を。

「ねえ、天の川は、どれくらいできた?」

「もうすぐだよ」

「そう……」

「もうすぐだよ……」

そして少女は、最後の花を織ったのです。

「できたのね?」

 そこには、少女の思い浮かべる同じ空が、重なるように広がっていました。

 天の川は、どんな立派な星より、夜空に瞬いていたのです。

 

 と、少女が、月から舞い上がりました。

 紫の薄い薄い羽衣が、少女のからだに貼りつくように絡まります。

「どこへ行くの?」

 月の声が少女を追います。

「仕事は、もう終えたの。わたしの仕事は終ったの」

「何をしようというの!」

 天の川に、少女は飛びこんでいきました。

 月には追いかけることさえ、できなかったのです。

「お前に仕事を与えたのは……、こんなつもりでは、なかったのに」

 月は瞬く間に光の帯を放ち、白く輝く小舟を天の川に浮かべました。

 星屑の花たちが、その小舟に少女を乗せます。

 星屑につつまれた少女には、まるい大きな月が見えました。

 少女の瞳に、光が戻ったのです。

「ああ、見える。わたしには月が見えるわ」

 小舟は、ゆっくりと天の川を下ります。

「その舟の行く先に、お前の兄さんが待っているよ」

 月はまた、ひとりぼっちでした。

 風のそよぎもなく、花もなく、ただ静かに時が流れていきます。

 けれどその光の帯の先には、いつも、月を見上げる少女の姿がありました。

 月に話しかける少女の姿が……。

コメント: 1
  • #1

    しがみねくみこ (月曜日, 10 10月 2022 18:00)

    大好きな作品です。(*^_^*)