春いちばん

「そよ風かあさん、もう外に出てもいい?」

 春いちばんは、待ち遠しくて、

「北風とうさんが帰るまで、お待ち」

 そよ風かあさんが止めるのも聞かず、こっそり家を抜け出しました。枯れたように見える木も、小

さな芽を吹き出して、春いちばんを楽しみに待っています。土の中の動物たちが耳を澄ませているよ

うすも目に映るよう。

 ひゅるるるるん。春いちばんが、高い空に舞いあがろうとしたとたん、

「ぴゅううう! 何してるんだ!」

 北風とうさんの冷たい手が伸びました。

「きゃっ」

 春いちばんは、北風とうさんに、つき落とされてしまいます。

「ちぇっ。つまんないな」

 雪柳の茂みの中に落ちた春いちばんが、しかたなく風の家に帰ろうとすると、「痛っ」

 思うように吹くことができなくなっていました。どうやらケガをしたようです。

「とうさんったら、力任せに叩くんだもん。いやになっちゃうよ」

 春いちばんは、ふわふわの黄色いワンピースを着た女の子に姿を変えると、だれか助けてくれそう

な人をさがしました。そこへ最初に通りかかったのが犬のシロだったのです。

「ねえ、ねえ。あんた、飼い犬?」

「そうだけど……」

「だったら、わたしを、家まで連れてって」

 シロはびっくりしました。

「ぼくの言葉がわかるの?」

それから、家でふせっているおばあさんのことを思って、

「なんで、ぼくが君を家に連れていかなきゃならないの?」

 春いちばんはおかまいなし。

「いいから、いいから。そうしたら、あんたの願いをなんだって叶えてあげる」

「願いを?」

 シロには叶えたい願いがありました。それで、しかたなく春いちばんを家まで連れていくことにし

たのです。

春いちばんは、おばあさんに頼みます。

「となり村に行く途中で、足をケガしてしまいました。傷が治るまで、どうかしばらく、ここに置い

てもらえませんか?」

 気のいいおばあさんは、

「まあ、かわいい娘さんだこと。なんにもしてあげられないけど、それでもよかったらどうぞ、どう

ぞ」

 そうして、春いちばんは、おばあさんの家でしばらく過ごすことになったのです。

「ケガが治ったら、思いきり吹いてやるんだから」

 春いちばんは、家に置いてもらう代わりに、食事を作ったり、洗濯したり。おばあさんの世話をす

ることにしました。

「まあ、いい子だね。ずっといてもらいたいくらいだよ」

 シロはおもしろくありません。それでも、

「願いを叶えてもらうんだ」

 じっとがまんをしたのです。そうしてとうとうケガもなおり、春いちばんは尋ねます。

「シロ。あんたの願いはなに?」

 シロはしっぽを思い切り振ると、

「ずっと春が来ないようにして!」

 春いちばんは、目をまるくしました。

「そんな……」

 春いちばんは吹きたくて吹きたくて、うずうずしました。でも約束をやぶるわけにはいきません。

北風とうさんが、ぴぃ、ぷるるう。眠たそうに吹いています。木々は芽吹く時を今か今かと待ってい

ます。土の中の動物たちは、すっかり目を覚まして、今にも動き出しそうです。

「どうしよう……」

 春いちばんは、シロに頼みました。

「ねえ、ほかの願いじゃいけないの? みんなが春を待ってるのよ」

「だめだ、だめ! 病気のおばあさんがいったんだ。『次の花見がきっとシロと過ごす最後になるね

』って。ぼくは、おばあさんとずっといっしょにいたい。だから……」

「そうだったの……」

 春いちばんは、おばあさんのところまで駆けて、それからまた駆けて駆けて、村じゅう駆けまわると

、雪柳の茂みからパッと舞い上がりました。今やっと咲いたばかりの雪柳の花びらも、おばあさんの

病気も、いっしょになって高く高く舞い上がります。村は春。

「ぼくの願いは!」

 シロの声に、春いちばんが答えます。

「あんたのおばあさんは、来年の春も、再来年の春も、ずっとずっと元気だよー」

 シロはびっくりして、おばあさんのもとへ走りました。ワンワン! 顔色のよくなったおばあさん

がシロの頭をなでてくれます。

「不思議こともあるもんだねえ」

 おばあさんの見る庭先で桜は満開。そしてシロはその向こうにある空を見上げたのです。

コメント: 1
  • #1

    しがみねくみこ (月曜日, 10 10月 2022 18:24)

    好きな作品です。(*^_^*)