どぶ川の前で、タケシを見つけた。
「おーい、またサボりか」
「あっ、ワタルか。ワタルもサボり?」
「あほっ。おれは、これから歯医者や」
同じ野球チームのタケシは、このごろ練習に出てこない。タケシは野球のことなんか忘れたみたいな顔で指さすと、
「なぁ、なぁ、見て」
下水の流れるどぶ川。そこにネズミとりがつかっていた。中に見えるのは巨大ネズミ。
「な、ワタル。助けよう」
「助けるって……」
ぼくは歯医者には行きたくなかった。痛いのは右上のぐらぐらする歯だったから、行けば抜かれるに決まってる。
「しゃあないなー」
おれはタケシにつきあうことにした。
「ワタル、棒さがしてき……うわっ!」
バランスを失ったタケシが、よろけたと思ったとたん、どろどろの川の中に着地した。
「あほや~」
そのマヌケな恰好に、おれの腹はよじれた。タケシはおこった顔を赤くしながら、ネズミとりを引きあげている。
堤防の下の駐車場に、ずっととめてある車のうしろ。だれにも見つからないそこは、おれたちの秘密の場所だ。いそいでネズミとりを運ぶと、タケシはさっそくネズミを出した。
「つめたなってる。ワタル、タオル取ってきてくれへん?」
「なんで、おれやねん」
「ほんなら、ネズミ抱いといてくれる?」
「いやじゃ! あっ、そうや」
歯医者に持っていくはずだったハンドタオル。おれはタケシに、それをわたした。タケシはネズミをふいてやり、ひざの上に抱くと、
「あたためてやらなな」
おれは、ぐらぐらする歯を、ねじりながら、
「ほんで、そのネズミどうするん?」
「飼おうかな」
「まじで?」
「うん。見てみ、ほら」
タケシが差し出したネズミの顔を、おれは、おそるおそるのぞいた。意外だった。黒々とした目が、やけにかわいい。タケシはネズミをさすってやりながら、「がんばれよぅ」と、必死だ。でもネズミは、ぐたっとしている。
「あかんのとちゃうか」といいかけて、おれはだまった。タケシの真剣な顔を見れば、とてもそんなことはいえない。かわりにおれの口から出てきたのは、
「なぁ、なんで野球、来えへんねん」
そのときだ。
「あっ」
ネズミがカクンと、首をたれた。
「おい、おいおいおい!」
タケシがネズミを、起すようにさする。でも、ネズミは力なく首をゆらすだけだった。
「死んでしもた……」
タケシの目から、涙がこぼれる。なんだか、おれまで胸がつまる。
「お墓、作ったろ」
ハンドタオルにネズミをつつんで、おれたちは堤防にあがる。植え込みの中の土を掘って、そこを墓にすることにした。ジョギングしている人が、けげんそうな顔で通り過ぎた。
すると、タケシがぽつりといった。
「ぼく、この土曜日に引っ越すねん」
「は?」
おれは、あとの言葉がつづかなかった。
「だれにもいわんといてな」
「なんで?」
「ぼくんとこ、離婚すんねん。ほんで、引っ越すから、だれにも知られたないねん」
「離婚?」
タケシはうなずいた。ぼくは頭の中がくらっとした。そんな頭を落ちつかせるために、ぐらぐらする歯をやたらとねじった。ぎしっ。
「おお! 歯ぁ、抜けた」
「見して!」
虫歯だった歯は黒く、かけていた。
「汚い歯やなぁ」
「うるさいわ、ほっとけ」
「あっ」
最初に見つけたのは、タケシだった。穴を掘るあいだ、わきにおいてあったはずのネズミがいなくなっていたのだ。
「なんで?」
「知らん。猫も犬も来いひんかったよな?」
「うん」
「たしかに死んでたよな?」
「うん」
おれたちは顔を見合わせた。
「まさか」
「死んだふり?」
おれはふきだした。
「まぁ、ええやん。そのうちネズミの恩返しがあるかもよ」
笑いがとまらない。タケシは掘り返した穴を見つめて、くちびるをとがらせた。
「そうや、ここに、この歯ぁ埋めよ」
おれは穴の中に、抜けた歯をほうり込んだ。タケシが足で土をけった。おれもけった。ふたりで土をけり入れて穴を埋めると、ついでにガンガン踏み固めた。
「おい、明日から、練習来いや」
「えっ?」
「親が離婚したって、おまえはおまえやろ」
おれは、にいっと笑ってやった。抜けた歯のすき間から風が入り込む。
「なんか、このへんが涼しいわぁ」
タケシはおれの顔を見ると、
「歯医者代、得したな」
おれは度肝を抜かれた。
「ほな、明日」
タケシが堤防をかけおりる。
家に帰ると、カンカンになったかあちゃんが待っていた。歯医者から電話があったのだ。
「何してたんや!」
「うん。ちょっと友だちと遊んでてん」
「あほっ」
かあちゃんは夕飯のしたくに取りかかる。まな板の上で野菜を切る音が、ととんと、ひびいてる。
「なぁ、かあちゃん。なんで、ネズミは嫌われもんなん?」
「そら病気を運ぶからや」
「病気?」
「そう、病気。ネズミの運ぶ病気は恐いねんで。死んでまうからな」
ドキドキ、ドキドキ。
「さわっただけでも移るん?」
「そら、そうや」
ドキドキがゾクゾクに変わった。背中につめたい汗がつたう。おれは頭をめぐらせた。
ネズミにさわったっけ? いいや、さわってない。でも、タケシは……。
おれの喉はつまったまま、夕飯もつかえて、ほとんど食べられなかった。
「歯の抜けたとこが痛いねん」
いいわけしながら、タケシのことが心配でしかたない。電話をかければ、かあちゃんにネズミのことがばれてしまう。でも、もしかしたら今ごろはもう、タケシに病気が移っているかもしれない。俺は頭をかきむしった。ふとんに入っても、なかなか眠れなかった。
次の日、おれは、かあちゃんのげんこつで目が覚めた。
「遅刻するやろっ」
ふとんから出ようとすると、頭がクラクラした。もしかすると、ネズミの病気?
「どうしよう」
俺はべぞをかいていた。
「どないしたん?」
かあちゃんがおどろいた顔で聞いた。おれは体温計をわきにはさみながら、きのうのことを打ち明けていた。熱はなかった。
「そうゆうたら、おれ、きのう、なかなか寝られへんかったんや」
「ほんでクラクラするんや。はよ、行き!」
「けど、タケシは……」
「タケシくんとこには電話しとく」
おれは重い足取りで学校に向かった。おそるおそる教室の窓をのぞく。そこには何事もなかったように、タケシが座っていた。おれは、ほーっと息をついた。きのうからのことをタケシに話す気はない。でもこれだけはいっておかなくてはならない。休み時間に、おれはタケシを廊下の隅に引っぱりだした。
「タケシ。ネズミは飼うたらあかんで」
「えっ、なんで?」
「ネズミはおそろしい病気を運ぶんや」
「うそやん」
「ほんまや。かあちゃんがゆうとった」
タケシがおれの顔を、まじまじと見た。
「きのうのこと、ばらしたん?」
「あっ、えっ、あれ?」
おれはあわてた。結局、きのう別れてからのことを、タケシに話すしかなかった。
「そんなに心配してくれとったん?」
あまりの照れくささに、おれがそっぽを向くと、チャイムが鳴った。教室に入るとき、うしろをついてきたタケシが、
「なぁ、ワタル。今日、ぼく、野球の練習、行くから」
おれは授業中、窓の外を眺めながら、タケシと離れたくないと思った。でもそれは、子どもには、どうしようもないことだった。
宿題のことをすっかり忘れていたおれは、居残りさせられて、練習にも遅れてしまった。グランドにはタケシが来ていた。タケシをとりかこむ、みんなの声が聞こえてくる。
「土曜日やって?」
「えらい、きゅうやなぁ」
引越しのこと話したんやろかと思ったら、犯人は、うちのかあちゃん。朝の電話で仕入れた情報を、あちこちにいいふらしたらしい。
「ごめんな」
頭をさげるおれに、タケシはまぶしく笑った。おれたちのグランドで。
「かまへんよ。大人のしたことやん」
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しがみねくみこ (木曜日, 29 12月 2022 15:43)
子どもの頃の思い出を作品にしてみました。(*^_^*)