山の郵便屋さん3

一郎さんは、とぼとぼと自転車を押しながら、

「宛先不明で帰ってきた手紙の差出人まで不明となると……」

 おばあさんは手紙が届いていると思っているはず。郵便局までたずねてくるとも思えません。カバ

ンの中に残っているのは、一郎さんが苦労して届けた手紙の、きっとその返事なのです。一郎さんは

自転車を止めて、カバンを開きました。手のひらにのせた手紙を、じっと見つめます。宛名は、山野

きつ子。おばあさんの親戚でしょうか。

「宛先は……」

 電車でいくつか駅を過ぎた、やっぱり田舎の山の村です。

「よし、ぼくが配達に行ってみよう」

 一郎さんは手紙をカバンにしまうと、自転車にまたがり、力強くこぎ出しました。その手紙を、ど

うしても届けたかったのです。

 うららかな陽射しの朝でした。休みだというのに一郎さんは制服を着ています。きゅっと帽子をか

ぶって、気を引きしめて、

「配達に行くんだからな」

 一郎さんは鏡の中の自分にいい聞かせました。黒いカバンには、もう手紙が入っています。カバン

の中には手紙のほかに、おにぎりとお茶も入っていました。

「きっと山の中に違いない」

 そう思っていたからです。そうでもなければ宛先不明で手紙が返ってきたりはしなかったでしょう

。きっと、その村の配達員も、

「住所は、この辺で間違いないんだがなぁ」

 一郎さんと同じように、さがしたに違いありません。一郎さんはガタゴト電車にゆられ、宛先に書

かれていた村へとつきました。すれ違うのは知らない人ばかり。自分の村の中なら、一郎さんはどの

番地だって知っています。でも知らない村ではさっぱりです。

「すみませんが……」

 宛先の住所を頼りに、人にたずねながら歩きました。あっちへ迷い、こっちへ迷い、

「たぶん、この辺だろう」

 やっとそれらしい場所へたどりついたときには、お昼はもうとっくに過ぎていました。

「やっぱりなぁ」

 そこはおばあさんの住む家と同じように紅葉に色づく山の中でした。とても人が住んでいるとは思

えません。一郎さんの足元の陽だまりで、小鳥がチルチル鳴いています。

けもの道でしょうか。山につづく細い道を見つけると、一郎さんは、

「よしっ」

そこへ踏み込むことにしたのです。山野きつ子さんの家をさがして。

 一郎さんはいつのまにか鼻歌をうたっていました。知らない山の中。歩いていると、なんだかわく

わくした気持ちになっていることに、一郎さんは気づきました。

 そういえば子供のころ、

「探検だ!」

そういって、山奥まで道なき道をよく進んだものです。ススキの原で迷子になったのも、きっとそん

なときだったのでしょう。見上げると山には紅葉に混じって、たくさんの木の実がなっていました。

足元にはキノコも顔を出しています。

 と、まぶしい光に、一郎さんは目を細めました。見ると、そこには小さな泉。底にわき出る水のあ

ぶくまで見えるほど、透きとおった泉が、日の光に輝いていたのです。

「こりゃ、すごい!」

 茂った木々のあいだに、ぽっかりひらいたみなもは、まるで鏡のように景色を映していました。小

さな風にも小刻みに震えて、それは魚のうろこのように、いくつもの光を反射しました。

「ここで、おにぎりを食べていこう」

 こけの生えた石の上に座ると、一郎さんは、

「やれやれ」

肩からさげたカバンをおろします。カバンの中から出したおにぎりとお茶は石の上に置いて、それか

ら泉の水で手を洗おうと、かがんだ一郎さんは、

(おや?)

 鏡のようなみなもの中に小さな男の子を見つけたのです。みなもに映った男の子は、木の幹から顔

を出して、そっと一郎さんのをのぞいています。一郎さんは振り返りました。

(あれ?)

 男の子の姿が見えません。でも泉を見るとそこには、くっきりと男の子の姿が映っています。

(そうか!)

 男の子は一郎さんに見つからないように隠れていたのでした。

(どうしたものかなぁ)

 一郎さんは声をかけようかどうしようかとなやみました。手を洗ったり、水を飲む振りをしたりし

て、ようすをうかがいます。

 するとみなもの中に映った男の子が、すっと一郎さんのほうへ出てきました。一郎さんの目はみなもに映った男の子に釘づけになりました。男の子は一郎さんに気づかれないようにそっとカバンに手

を伸ばしました。

「こら!」

 男の子は飛び上がっておどろきました。でも一郎さんは、もっとおどろきました。男の子のうしろ

から、ひょこっと茶色いしっぽが現れたからです。

「ごめんなさい!」

「ああ。いや、あの……」

 一郎さんは目のやり場にこまってしまいました。きつねに化かされるなんて初めてのことです。せ

っかくうまく化けたつもりのきつねを、がっかりさせたくはありません。それにしても、きつねはど

うしてカバンに手をかけようとしたのでしょう。おにぎりとお茶なら石の上に置いてあるのです。

(いや、待てよ)

 もしかすると村で会ったあのおばあさんも、きつねだったのかもしれない。

(そうか! きっと、そうだ)

 一郎さんは思ったのです。そして、

「もしかすると、きみ、山野さん?」

「はい!」

 やっぱりでした。男の子は、背中をしゃんと伸ばします。まるで朝礼のときに号令でもかけられた

かのように。その格好がおかしくて、一郎さんは笑うのをこらえながら、

「じゃあ、山野きつ子さんって知ってる?」

「うん。ぼくのおかあさん」

「そうか、よかったぁ!」

 一郎さんは、ほうっとしました。これで手紙がわたせます。ここまで来たかいがあったというもの

です。

「おじさんは、きみのおかあさんへの手紙を届けに来たんだよ。おかあさんは、どこ?」

 男の子は、もじもじして、それから、

「おかあさん、今、病気だから」

「そう」

 一郎さんは考えました。病気のおかあさんには、赤い屋根の家を出したり、人間に化けるなんてこ

とはできないかもしれません。

 あの達者なおばあさんのときのように、『家に届けるのが仕事です』なんて、キッパリいうには相

手は子ども。

「じゃあ、きみを信用して、この手紙を預けるから、ちゃんと届けてもらえるかなぁ?」

「うん!」

 男の子はトントンかかとを上げ下げしながら、待ちきれないようすで手を出しています。

 手紙をわたす前に、一郎さんはもう一度考えて、

「あのね。この山の入口のどこかに郵便受けを置いてくれると、とても助かるんだよ。住所と名前も

書いてね」

 『うんうん』うなずきながら、男の子の手はせかすようにゆれています。

「それから、これは大事な手紙だから、落とさないようにゆっくり歩いて帰れるかい?」

「ゆっくり?」

「うん。ゆっくり」

 一郎さんと男の子の目があいました。そしてその目で、かたい約束をしたのです。受け取った手紙

を男の子は胸に抱いて、ふうっとため息をつきました。目をつむった顔が赤くそまります。なんてう

れしそうなのでしょう。

(ここまで来てよかった)

「ありがとう!」

 そういうと、男の子はいそぎたいのをこらえて、ゆっくりゆっくり歩いて行きました。

コメント: 1
  • #1

    しがみねくみこ (土曜日, 12 11月 2022 17:27)

    やっと、作品の中に子どもが出てきましたよ!(*^_^*)