「おい、斗真。盆踊りの練習に行くぞ」

 ひいじいが、お酒の匂いを、ぷんぷんさせて、ぼくの部屋に顔を出した。ぼくは、フンと、そっぽを向いて、返事もしてやらなかった。

するとひいじいは、ぷいっと、きびすを返した。トントンと、階段をおりていく音が、ぼくの耳にひびく。

「ふう……」

ぼくは、ため息をついた。

 この村に、ぼくが来たのは、去年の春。小学三年生の終わりだった。

父さんの父さん。つまり、ぼくのおじいちゃん。それから、おばあちゃんと、ひいじいちゃんの住む家。都会で勤めていた父さんが、それまでの仕事を辞めて、

「畑の仕事をする」

 と、ぼくたちを連れて、田舎に引っ越してきたんだ。

 ぼくにとって、そんなの大人の勝手だった。仲のよかった友だちとも引きはなされ、だれも知らない、行きたくもない小学校に、無理やり放り込まれたんだ。ぼくはだれとも話したくなかったし、遊びたくもなかった。家に帰ると、ゲームにかじりつき、ゲームを取り上げられると、家族と口もきかなかった。

 みんなが心配してくれている。それは、わからないでもなかった。でも、なんだか、あれやこれやとされるたびに、ぼくはどんどん、引き返せなくなってしまった。そんな中、

「おい、斗真、盆踊りの練習に行くぞ」

 ひいじいの言葉だけが、変わることはなかった。

 ひいじいは、村一番に盆踊りがうまくて、小さい子や村に来たばかりの若いお嫁さんなんかに、盆踊りを教えていた。幼稚園に行っていた頃までは、ぼくも毎年、盆踊りに連れていかれてたけど、今はもう、絶対行かないと決めている。

 そんなある夜の事だった。ひいじいが倒れたのは。

 きゅうに苦しそうに胸を押さえながら、父さんの運転する車で、ひいじいは、村の診療所に行った。そしてそのまま、入院することになってしまった。

 ぼくが母さんと見舞いに行くと、ひいじいはベットの上で、なんだかちぢんで小さくなったみたいに、しょんぼりと横になっていた。腕には点滴の針がささったまま。さすがに酒の匂いもしない。

「ちょっと、先生に、話を訊いてくるわ」

 かあさんが、部屋を出ると、

「盆踊り、行けなくなっちまったなぁ……」

 か細い声で、ひいじいがいう。いつもなら、ひいじいの言葉なんかムシするぼくだけど、なんだかひいじいがあんまりかわいそうで、思わず、

「しかたないよ」

 と、いってしまった。ひいじいは、口を利いたぼくに、おどろきもしないで、

「そうじゃ。しかたないのはわかっとる。けど、こいつだけは、約束だしなぁ……」

 枕元に置いてあった、まだ青々としたイチョウの葉を手に取ると、ひいじいは、そのじくを持って、自分の目の前で、くるくるまわしてみせた。それから、指先を、つっと止めると、

「そうじゃ、斗真。お前が行ってくれないか?」

「えっ?」

 ぼくは、盆踊りなんて踊れない。それに、友だちだっていないんだ。盆踊りに行くなんて考えられなかった。

 するとひいじいが、ぼくの目をのぞき込んだ。自分の顔の横に手を持ってくると、ちょいちょいと、ぼくを手招きした。引き込まれるように、ぼくは、ひいじいの顔に自分の顔を近づける。

「盆踊りといってもなぁ。きつねの盆踊りなんじゃ」

 そういって、ひいじいが、にっこり笑った。ぼくは、目を見開いた。入院している間に、ひいじいはボケてしまったんだろうか。

「まぁまぁ、そんなにおどろくな」

 ひいじいは、ぼくの心の中を見透かしたかのようにいった。

「斗真は、信じないと思うがな。実は昔、酒を飲みに行った帰りにな、あんまりいい気持ちだったもんじゃから、神社で、ひとりで、盆踊りを踊っていたんじゃよ。一升瓶を横に置いてな」

 ひいじいは、イチョウの葉を枕元に戻すと、ぼくの目を見た。

「月のきれいな夜でなぁ。足元まで光が照らしていたのを覚えてる。盆踊りは大好きじゃし、明るいし、酒だって、まだまだあったから、気づいたら、夢中になって踊ってたんじゃ」

 なんだ。ただの酔っ払った昔ばなしか……。

 けど、さっきまで、ちぢんで見えていたひいじいが、やけに楽しそうだったから、ぼくはそのまま、ひいじいの話を聞くことにした。

「するとな。わしの足元に伸びる影が、いくつもいくつも、重なって見えるんじゃ。わしゃあ、とうとう、酔い過ぎたと思ったんじゃが、おそるおそる、うしろを振り返ったんじゃ。そしたらな……」

 ひいじいが、ぎょろっと目を見開く。そして、ぼくを怖がらせるように、声を落とすと、

「なんと、わしのうしろに、何匹ものきつねが、わしのまねをして踊っていたんじゃよ」

 なにをいいだすのかと、ぼくは思った。ぼくのことを子どもだと思って、からかっているのか。ほんとうに、ボケてしまったのか。そのふたつのうちの、どちらかでしかない。だけど、母さんも、まだ戻らないし、ぼくはちょっと怒った顔になって、話を聞き続けた。

 ひいじいがいうには、それは神社に祀られているきつねの神様だったのだ、という。ひいじいが、あまりも楽しそうに踊るのを見て、つい、つられてしまったのだとか。ひいじいのうしろに、一匹、また一匹ときつねは増えて、神社じゅうにいたきつねの神様たちは、いくつも重なった赤い鳥居の中から、ずんずん飛び出して、盆踊りを踊っていた。

 きつねの神様たちの中でも一番えらい神様がいて、その神様とひいじいは、残ったひいじいの酒を、いっしょに飲んだのだという。

「そりゃあ、おいしく飲んだんじゃ」

 ひいじいが、思い出深そうに、遠い目をした。

「神様と飲める酒なんぞ、めったにあるもんじゃあねえぞ」

 自慢げに鼻をふくらます。

「きつねたちのいうには、盆踊りがあまりにもたのしかったのだと。それじゃあ、盆踊り大会をすればいいと、わしがいったんじゃ」

 きつねたちはよろこんで、それから毎年、夜中にこっそり盆踊り大会を開いているんだ、と、ひいじいは、そういった。

(きつねの盆踊り大会?)

 ぼくをからかっているんでも、ボケているんでもなくて、酒の飲み過ぎで、頭が変になったんだと、ぼくは思った。

 まさかひいじいは、からだが悪くなって入院したのではなくて、頭が変になって入院させられてるんだろうか?

 そんなぼくの心配をよそに、ひいじいは、イチョウの葉をもう一度手に取ると、

「これが、入場券」

 と、ぼくに、差し出した。

(いったいなんなんだ)

 かたまるぼくの手をひっぱって、イチョウの葉を無理やり、ぼくの手に持たせる。

「大事にしろよ」

 念を押すように、ぼくにいう。

 頭が変になったひいじいに、さからってもしかたない。ぼくはリュックに、イチョウの葉を入れた。

「人間の盆踊りも、そりゃあ、楽しいもんじゃが、きつねの盆踊りも、なかなかのもんじゃぞ。それにな……」

 ああ、もう、ひいじいの話が終わらない。僕が頭を抱えかけたとき、やっと母さんが戻ってきた。

「おまたせ」

 明るそうに見せている母さんの目の中の暗い影を、ぼくは見逃さなかった。

 帰り道。普段通りにしていた母さんが、一瞬、かなしそうな顔をして、

「ふう……」

 と、ため息をついた。

(やっぱり……)

 やっぱり、ひいじいの頭は、変になってしまったんだ。ぼくは、そのとき、はっきりとわかった。

 ひいじいの頭が変になって、入院したからといって、ぼくの毎日は、そんなに変わらなかった。ただ、

「おい、斗真。盆踊りの練習に行くぞ」

 いつもの声が聞けなくなったくらいだ。

 ひいじいのいう人間の盆踊りは、無事に開かれ、

「行かないの?」

 

 と、母さんに訊かれても、ぼくは首を横に振った。

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