耳元で、ぶんぶん鳴る羽音を聞いて、蜂蜜ばあは目を覚ましました。
「なんや。さっき寝たと思たら、もう朝か」
両手を上にあげて、大きく伸びをすると、頭をふって、こきこき首の関節を鳴らし、それから、ひょいと、ベッドからとびおります。
「おはよう、おはよう。起してくれて、ありがとうなぁ」
ミツバチにあいさつすると、蜂蜜ばあは、窓を開けます。働き者のミツバチは、冬が来る前の最後の蜜を集めにいきました。
山のふもとの小さい小屋には、秋のやわらかな陽射しが降りそそいでいます。
そこへ、カラリンコロン。
鐘の音がして、
「また来たな!」
目をつりあげた蜂蜜ばあが、右手のこぶしをあげ、勢いよくドアを開けました。
そこには、びっくりした顔の女の人が立っています。
「あっ、山下さんやったん」
蜂蜜ばあは、あわてて、こぶしをおろしました。
「えっと、あの、朝早くから、ごめんなさい」
しどろもどろの山下さんに、
「こっちこそ、ごめんやで。ここんとこ毎朝、悪がきどもが鐘を鳴らして逃げていくもんやから、てっきり……」
「まぁ、そうやったん」
蜂蜜ばあは、ミツバチと暮らしています。
びん入りの蜂蜜や、木の実の蜂蜜漬け。それらを使ったお菓子なんかを売っているのです。
小屋の前のひさしの下には、大きなステッキ型の木が立っていて、そこにサッカーボールくらいの大きさの鐘がつるされています。お客はその鐘を鳴らして、蜂蜜ばあを呼ぶのです。
カラリンコロンと鐘が鳴ると、いつもなら、
「はいはいはい」
白くなった髪をうしろにひっつめ、しわだらけの手をこすり合わせながら、蜂蜜ばあは、にこにこ笑って顔を出すのです。
「今日は町へ嫁に行った娘のところに行こうと思ってね。それで、そうそうって思い出して、ここに寄ったの」
山下さんは、この秋採れたばかりの蜂蜜を買いました。花粉の入った黄色い蜂蜜です。
蜂蜜ばあは、大事そうにお金を受け取ると、大きなガラスびんに、それを入れました。
「この蜜があったら、この冬も風邪ひかんと過ごせるわ。娘さんによろしゅうね」
と、そこへまた、カラリンコロン。
「今度こそ、あの子らやな!」
蜂蜜ばあが、小屋をとびだします。
「こらぁ!」
こぶしをあげた蜂蜜ばあに、
「わーい、蜂蜜ばばあ」
「ケチケチばばあ」
男の子がふたり、ランドセルをゆらせながら、走っていきました。
蜂蜜ばあのうしろを歩いてきた山下さんが、笑いをこらえながら、
「ピンポンダッシュっていうんでしょ?」
「ピンポンダッシュ?」
「そう。インターホンを押して、走って逃げるのよ。子どもたちのいたずらの定番ね」
蜂蜜ばあは、『ははは』と豪快に笑うと、
「それじゃあ、うちのは、カラリンダッシュやな」
「カラリンダッシュ?」
「ほら、あの鐘、カラリンコロンと鳴るやんか」
「あら、ほんと!」
山下さんも、カラカラ笑いながら、
「それにしても、いつも、あの子たち?」
「そうやねん。達也と裕太。ついこの前まで、こづかい持って、蜂蜜菓子を買いに来てたのに、ちょっと見いひんようになったと思たら、カラリンダッシュや。しかも、うちのこと、『ケチケチばばあ』やって。男の子は、かなんわ」
山下さんは笑いながら、びん入りの蜂蜜を大事そうにカバンに入れると、駅に向かっていきました。
蜂蜜ばあは、大きなガラスびんに入ったお金を、うっとりながめます。
それから思い出したかのように、引き出しの中の貯金通帳を取り出すと、にまにま笑って、それを開きました。
「これは、ミツバチと蜂蜜ばあが、しっかり働いた証拠や。まぁ、勲章のようなもんやな」
ふんふん鼻歌をうたって、通帳のページをめくると、また大事そうに引き出しにしまいました。
「今年も、あと少しやな」
冬のあいだ、ミツバチの巣には、囲いをします。そうしてミツバチは巣の中に集まって、寒さをしのぐのです。
ふうっと、ため息をついて、蜂蜜ばあは、裏の戸を開けました。
小屋の裏に並んだミツバチの巣を見てまわるのです。
囲いをすれば、春が来るまでミツバチには会えません。
「また、さみしい冬が来るなぁ」
蜂蜜ばあが、見あげた山。その左側の斜面には、新しくできた住宅の屋根が並んでいました。
色とりどりの屋根は、まるで花畑のようです。
でも、その分、山の緑はけずられて、花の蜜も集めにくくなるのです。
蜂蜜ばあは肩をすくめて、小屋の中に入りました。
棚に並んだ品物に目をやると、
「蜂蜜クッキーが、もうなくなってきたな」
かまどに火を入れ、蜂蜜ばあは、小麦粉をふるいます。玉子を割って、バターをとかし、そうしながら、鐘の鳴るのを待っていたのです。
カラリンコロン。
蜂蜜ばあの店は、今日も大繁盛です。
びん入りの蜂蜜はもちろん、焼きたてのクッキーやパン。それに梅やレモン、アロエの蜂蜜漬けまであります。
蜂蜜ばあの売る品はどれも、からだによくて、おいしいと評判でした。
働き者のミツバチと蜂蜜ばあは、こうして毎日を、しあわせに暮らしていたのです。
ところが、その日の午後、お客の途切れた時間でした。
窓から入ってきたミツバチが、まるで蜂蜜ばあを呼ぶように羽音を鳴らしたのです。
いつもとはちがうようすに、
「どうしたんや」
ふり返った蜂蜜ばあの耳に、大きな物音が聞こえてきます。
「なんや!」
裏の戸を開けた蜂蜜ばあは、その場に立ち尽くしました。いくつか並んだ巣箱が倒され、大きなクマが、巣の中に顔を突っ込んでいたのです。
「ああっ!」
その声を聞いたクマは、蜂蜜ばあに顔を向けます。
立ち上がったクマの背丈は、蜂蜜ばあより高いのです。
蜂蜜ばあの足は、すくみました。
そして動けなくなった蜂蜜ばあに向かって、クマがのそのそと歩きだしたのです。
(あかん!)
蜂蜜ばあが、目をつむったときでした。
羽音が大きくなり、ミツバチはまるで、蜂蜜ばあを守るように、いっせいにクマにおそいかかりました。
蜂蜜ばあが、次に目をあけたとき、クマはもう、山に向かって逃げていくところでした。
何匹ものミツバチが、地面の上で、じっと動かなくなっています。
「えらいこっちゃ……」
蜂蜜ばあは、巣箱にかけよると、倒れたそれを起こしました。それから足もとで、じっと動かなくなったミツバチを拾いあげます。
そこへ、カラリンコロン。
鐘の音がしました。
でも蜂蜜ばあは、がっくり肩を落としたまま動きません。
すると、しばらくして、ふたつの足音が、そっと近づいてきました。
「どないしたん?」
そこに立っていたのは達也と裕太。
ふたりとも目をまるくして、蜂蜜ばあを見つめています。
「なにがあったん?」
こわれた巣箱を見つけて、おどろいた達也が聞くと、蜂蜜ばあは、
「クマや。クマが出たんや。こんなこと初めてや……」
蜂蜜ばあの手のひらの上には、動かなくなった何匹ものミツバチがのっています。
「ミツバチはな、針を刺したら、もう生きていかれへん。そやから、めったなことでは、刺したりせえへんのや。ミツバチは、うちを守ってくれたんや。命がけでクマを山に追い返したんや」
「警察には、届けへんの?」
裕太が心配顔で聞くと、
「警察か。警察にいうたら、どうなるやろ」
「そら、鉄砲で撃って仕返ししてくれるで」
鉄砲をかまえる恰好をした達也に、蜂蜜ばあは、かぶりをふると、
「そらあかん。クマがこんなところにおりてきたんは、たぶん、食べるもんがなくなったからや」
「けど、またクマが来たら、どうするん?」
「クマが来たら……。どうしたらええやろ」
蜂蜜ばあは、手のひらの上のミツバチに目を落とし、それからハッとした顔で達也たちを見ると、
「そや、あんたら、このへんでどんぐりが落ちてるとこ知らんか?」
「そら、知ってるけど」
「ほんなら、そこ教えて!」
「なんで、おれらが……」
蜂蜜ばあは、いそいで小屋に入ると、焼いたばかりのクッキーを持って出てきました。
「ほら、これ、お駄賃や」
「えっ」
達也と裕太は、おどろいて目を合わせました。ケチケチの蜂蜜ばあが、タダでクッキーをくれるというのです。ふたりは、きらんと目を光らせると、
「おっしゃ」
「蜂蜜ばあ、ついといで」
走り出したふたりのあとを、大きなかごをしょった蜂蜜ばあが追いかけます。
ふたりが最初に案内したのは公園でした。
そこには、いくつものクヌギの木が並んでいます。
「こら、すごいな。あんたらも、手伝いっ!」
かごを置いた蜂蜜ばあは、ものすごい速さで、どんぐりを拾っていきました。
その勢いに押されるように、達也と裕太も手伝います。
「そやけど、蜂蜜ばあ。こんなにいっぱい、どんぐり集めて、どないするん?」
「このどんぐりで、なんか商売でも始めるんか?」
蜂蜜ばあは、手を止めることなく、
「商売なんかとちがう。これはな、山に運んで、クマに食べさすんや」
「クマに?」
「そうや。クマかて、お腹がふくれたら、わざわざ人間のおるとこなんかに、おりてけえへんやろ」
「クマって、どんぐり食べるん?」
「そうやで。クマだけやない。いろんな生きものが食べるんや。そやから、ここのも、全部とったらあかん。ちゃんと、残しとかんとな」
次は、神社の境内。その次は、林の入り口と、三人はどんぐりを集めていきました。
大きなかごは、もういっぱいです。
小屋へと戻る道で、達也と裕太は、ポケットからクッキーの入った袋を取り出すと、うっとり匂いをかぎました。
「なんか、ひさしぶりやな」
「おれ、これ、好きやねん」
指を伸ばして、つまみあげたクッキーをほうばるふたりに、蜂蜜ばあは、
「好きなんやったら、いつでも買いに来たらええやんか」
「せやけど……」
達也と裕太は困った顔で目を見合わせました。それから達也は、思い切ったように口を開くと、
「おれら、こづかいなんか、ないんや。おれのとうちゃん、この春、リストラされて、こいつの親は、夏に離婚したんや」
「うん、そやねん。ぼく、今、おかあさんとふたりきりで暮らしてて、『こづかい、くれ』なんて、よういわん」
蜂蜜ばあは、目を見開いて、
「そうやったん!? あんたら、そんなことがあったんか」
だまって、うなずくふたりに、蜂蜜ばあは、
「うちの子どもの頃も、そういうたら、お金なんかなかったわ」
「ほんま?」
裕太が、蜂蜜ばあを見あげます。
「ほんま、ほんま。時代のせいもあったけど、うちは、とびきりの貧乏でな。お菓子なんか食べたこともなかった。そんで、初めて食べた甘いもんが蜂蜜やってん。今でも忘れられへん。その甘いこと、おいしいこと」
「ほんで?」
達也が、ごくんとつばを飲み込みました。
「それから、うちは、蜂蜜のとりこや。ミツバチのことも、勉強したんやで。知ってるか? 一匹のミツバチが一生のうちに集められる蜜はスプーンに一杯やねん」
「うひょお。そんなこと、知らんかったわ」
蜂蜜ばあは、にっこり笑うと、
「そうやねん。ミツバチの話やったら、まだまだいっぱいあるで」
小屋に戻ると、蜂蜜ばあは、背中にしょったかごを、『よっこいしょ』とおろしました。
「ちょっと、待っとりや」
ふたりを待たせると、大きな蜂蜜のびんをふたつ持ってきて、
「これは、お駄賃やないで。お礼や、お礼」
「えっ、ほんまに?」
「ほんまに、ええの?」
「ええ、ええ。これはな、春にとれた蜂蜜や。やさしい味がするで」
ふたりは、ずしりと重いびんを受け取りました。
「ほな、うちは、どんぐりを山まで届けてくるからな。ミツバチのお墓も作ったらなあかんし、忙しい、忙しい」
蜂蜜ばあは、大きなかごを背中にしょいます。
見送る達也と裕太をふり返ると、
「それからなぁ。これからは、あの鐘はならさんとき」
「あっ」
カラリンダッシュのことを思い出して、顔を赤らめるふたりに、
「鐘は鳴らさんと、裏の戸を開けて入っておいで。あんたらはもう、お客さんやのうて、うちの友だちやからな」
「友だち?」
「そや。ミツバチの話、また聞きにおいで」
「うん!」
「そのときには、蜂蜜クッキーでも、蜂蜜パンでも、ごちそうしたるで。うちは蜂蜜ばあやけど、ケチケチばばあやないからなー」
「うん!」
達也と裕太の笑い声を背中に聞いて、蜂蜜ばあは山に入っていきました。
次の日の朝も、耳元で、ぶんぶん鳴るミツバチの羽音で、蜂蜜ばあは目を覚ましました。
両手を上にあげて、大きく伸びをすると、頭をふって、こきこき首の関節を鳴らし、それから、ひょいと、ベッドからとびおります。
もうカラリンダッシュの鐘の音はしません。
「毎朝鳴ってたもんが、鳴らんのも、さみしいもんやなぁ」
でも、蜂蜜ばあには、友だちができたのです。
もうすぐ、裏の戸を開けて、達也と裕太が入ってくるでしょう。
ミツバチと会えない冬のあいだも、楽しく過ごせそうでした。
話してあげたいミツバチの話も、山のようにあります。
開いた窓の向こうには、ひんやり透きとおった風が吹き、陽射しをあびたミツバチの羽が、きらりと光りました。
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しがみねくみこ (木曜日, 29 12月 2022 15:41)
たぶん、未発表の作品です。(*^_^*)