「あの子を使いになんか、出すんじゃなかった……」
降りしきる雪が、足元を白く埋め尽くしていきます。
向かい風に、襟元をぎゅうっとつかみ、お母さんは先をいそいでいました。
家じゅうをあたたかく甘い匂いに満たしながら、煮豆がほっくりできあがり、
「味見! 味見!」
赤い椀を手に、裕香は鍋の前で、かかとをトントン鳴らしました。
「はいはい。少しだけね」
湯気の立つ煮豆を、三つ四つ椀に入れると、『はふはふ』いいながら、裕香は口へと運びます。
「うん。おいしい!」
「それなら、おばあちゃんちまで、届けてあげようか」
お母さんがいうと、
「裕香が行く。おばあちゃんちなら、ひとりで行ける!」
おばあちゃんの家は、歩いてすぐのところです。
けれど、裕香は、まだ五つ。
ひとりでなんか、やらなければよかったのです。
「どこへ行ったんだろう」
裕香は、どこにもいませんでした。
おばあちゃんの家にも、あたりをさがしても。
晴れていた空に厚い雲がかかり、しんしん雪まで降り出したというのに。
「もっとはやく、迎えにいけばよかった」
冷たい風は刺すように吹きつけ、雪がからだにまとわりつきます。
道の先は白くけむり、積もる雪に足がとられます。
胸の中が、かっかとほてりました。
「はやく見つけてやらなきゃ」
やみくもに足を進めたお母さんは、いつのまにか知らないところへ来ていました。
幼い頃からここに住んで、知らない場所などないはずなのに、たしかにそこは見たこともないところでした。
そしてなぜか、裕香もそこにいるような気がしてならなかったのです。
「裕香! 裕香!」
返事が返ってくる気がして、
「裕香! 裕香ぁ……」
お母さんは呼びつづけました。
雪にかすむその先に、ぼんやり光が浮かんできます。
「なんだろう……」
近づくほど光はまぶしく輝きます。
お母さんは走りだしていました。
目を細めながら、白い息を『はあ、はあ』はきながら。
「あっ」
お母さんの足が、つっと止まります。
そこには花が、いくつもいくつも咲いていました。
赤い花、黄色い花、桃色の花……。
どれもがまるで宝石のように、透き通った光を放っているのです。
いいえ。それより、もっともっと光っています。
目も開けていられないほどに。
お日さまが流れ星になって落ちてきたよう。
その場所だけが煌々と、光の丘をかたどっていました。
まわりの木々も葉を照らされて、風の吹くたびに煌めきます。
と、静かな歌声が耳をかすめました。
裕香のではない声。
大きな木の横枝の一本に、白い薄いドレスを身にまとった娘が座って、歌をうたっているのです。
異国の歌のようでした。
聞いたこともない不思議な調べでした。
(言葉が通じるかしら)
そう思いながら、お母さんはたずねます。
「小さな子どもが来ませんでしたか? 女の子です。裕香というんです」
「来たわ」
娘は歌をやめると、ころころと鈴の音のような声で答えました。
「それで……」
あわてて娘のところへ駆け寄ろうとしたお母さんは、足元の花を踏んでしまいました。
桃色の花は、『パリン』
音を立てて折れてしまいました。
花は氷でできていました。
お母さんは息を飲み、折れた花を見つめます。
恐ろしさに胸がつかまれるようでした。
そんな心を見透かすように娘はいいました。
「あんたが、今、踏みつぶしたわ」
「ああ!」
嘘だとは思えませんでした。
お母さんは震える指で折れた花を拾います。
その頬を涙が止めどなく流れていきました。
拾った花を、そうっと胸に抱くと、
「裕香、裕香……」
と、呼びつづけていました。
座っていた横木から、娘は飛び降ります。
白いドレスをたなびかせ、そのようすはまるで背中に羽でも生えているかのようでした。
透けるほど白い素足を、ふわっと地面につけると、白い手の指を揺らせます。
手招きをしているのです。
お母さんはよろよろと、それでも二度と花を踏むまいと、娘へ向かって歩きました。
ひとかたまりもある藍色の花のそばまで来ると、
「ふううぅ」
娘は白く光る息を吹きかけ、裕香の花を抱いているお母さんを、そのまま花にしてしまいました。
藍色の花に。
娘は、雪娘。
雪の中の迷い人を見つけては、氷の花を咲かせていたのです。
花は心の色を映しました。
裕香の心は、桃の色。
悲しみに沈むお母さんの心は深い藍色。
濁った色の花は雪娘が踏みつぶし、ここには美しい花だけが咲いていました。
赤い花、黄色い花、桃色の花……。
雪娘は微笑みながら横木に座ると、輝く花々を満足そうにながめました。
「藍色の花が、ひとーつ増えた」
そして、うたいだしました。
それは不思議な歌のはずでした。
けれど口をついて出てきたのは、裕香を抱きながらうたうお母さんの子守歌だったのです。
「ねんころろん、ねんころろん、
いい子いい子は、ねんころろん。
母さん、お胸のその中で、
おてても、あんよも、くーるくる。
大きくおなり、ほーこほこ。
ねんころ、ねんころ、ねんころろん」
雪娘は手で口を押えました。
それなのに、子守歌は口をついて止まりません。
「ねんころろん、ねんころろん、……」
押えた手の甲を、雪娘の涙がつたっていきました。
(あたた……かい?)
涙は花の上まで転がると、しゅんしゅん音を立て、白い湯気になりました。
そのたびにひとつひとつ、花は迷い人へと戻ります。
皆、不思議そうに眼をしばたかせ、雪娘の姿を見つけては逃げていきます。
雪娘はうたいつづけました。
「ねんころろん、ねんころろん、……」
とうとう最後は、裕香を抱いたお母さんの声と重なって、
「……、ねんころ、ねんころ、ねんころろん」
雪娘は、真っ白な氷の花になりました。
「裕香! 裕香!」
お母さんは裕香の冷たい手足を自分の胸にしまうと逃げだしました。
ねんころ、ねんころ、ねんころろん……。
氷のこだまが追いかけてきます。
こだまの中で雪娘の花だけが、真っ白に輝き続けていました。
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しがみねくみこ (土曜日, 01 4月 2023 23:46)
ありがとうございます。
私には、その花も、歌声も聞こえる作品でした。
すごく嬉しいです。
読んでくださって、感謝です!
ちさちゅん (土曜日, 01 4月 2023 19:50)
幻想的で引き込まれました。
しがみね (土曜日, 01 4月 2023 11:36)
ゆきのまち幻想文学賞で、最終選考まで残った作品です。(*^_^*)