住宅街の角に、ぽつりと看板を出す文房具屋。店の主は、とてもとても几帳面で、店の品はいつも、きちんと並べられ、その数までも、きちんと決まっているというほどでした。
鉛筆が一本売れれば、主はすぐ、倉庫にある在庫の鉛筆を持ってきます。
それを並べると、店の入り口に立って、
「うむうむ」
と整理整頓された店内を満足そうにながめ、それから、奥のレジの前の椅子に座るのです。
それくらいの几帳面ともなると、むしろ客が来ないほうが落ち着くらしく、たまに、子どもの客などが来ると、そわそわして、もうたいへんです。その子が消しゴムの箱の中から同じ消しゴムを選ぶのに、ずいぶん迷ったあげく、箱の一番奥にある消しゴムを買ったりします。すると主はもう、苦虫をつぶしたような顔になり、代金をもらっても、「ありがとう」とさえいいませんでした。
そんなわけで、店はさびれ、客が来ることは、めったにありません。が、主にとっては、そのほうがいいらしく、一日じゅう客の来ない日なんかは、鼻歌まで飛び出してくるというしまつでした。おかげで主の奥さんは愛想をつかして、もう十年も昔に、幼かった子どもを連れて出ていきました。
そのときでさえ、主は、
「これで家が散らかることもなくなった」
と、ホッとため息をついたくらいです。
もともと主は文房具が好きで、文房具に囲まれて暮らしたかっただけなのでした。店を持ちたかったのかどうかさえ、今ではよくわかりません。
主は子どものころからの文房具好き。けれども主にとっての文房具は使うものではなく、ながめたり、さわったりするだけのものだったのです。
ある日のことでした。
その日も、客の来ない店の中で、きれいに並べられ、数のそろった文房具を、
「うむうむ」
主は満足そうにながめていました。
そこへ一人の客がやってきたのです。
白いワンピースを着た少女でした。
主はいやそうな顔をして、
「いらっしゃいませ」
ともいいません。レジの前の椅子に座って、新聞を読むふりをしながら、少女が店の物を荒らさなければいいが、と、そればかり思っていました。ところが少女は、まっすぐに主のところまで歩いてくると、
「これを店に置いてもらえませんか」
といったのです。
少女は手に持った風呂敷を広げました。
するとその中に、主が見た事もないような美しいノートが五冊、載せられていたのです。
一番上にあった一冊を、主は、うばうように手に取りました。厚手の表紙には、まるで海の波を想わせるようなマーブル紙がはめ込まれてあります。ページをめくると材質のいい紙を使っていることがすぐにわかりました。しかも五冊とも表紙には違ったマーブル紙が使われていて、腕のいい職人が手作りしたノートに間違いありません。
「売ってくれ!」
主はせき込むようにいいました。
少女はにっこり微笑むと、ノートの値段をいいました。それは主が目をまるくするほどの高い値段でした。
それでも主にはそのノートが、ほかのだれの手にわたるのも許せなかったのです。
「ちょっと待ってくれ」
レジの奥にしまってある大事なお金を、主はその少女にわたしました。
「必ず、店に置いてくださいね」
少女は、そういって、帰っていきました。
けれども、だれにもわたしたくないノートを、主が店に置くはずがありません。
主はノートを家のガラス戸棚の中に、大事に大事にしまっておいたのです。
しばらくすると、少女は、また店にやってきました。店の中をぐるりと見て、それから、
「あのノート、売れたんですか?」
と、主に聞いてきました。
たしかに少女は、ノートを必ず店に置くように、そういっていました。主はあわてて、
「あれなら、すぐに売れてしまったよ」
と、うそをつきました。
「それは、よかった」
ホッと息をついたかと思うと、少女はまた、持ってきた風呂敷を広げ、
「今度は、これを置いてもらえませんか?」
と、聞いてきたのです。
それは、ハサミ。ハサミといっても、柄の部分はみごとな木彫りになっており、刃も厚くしっかりとした品でした。手に取るとそれは、しっくりと馴染み、思ったより軽く扱いやすい物でした。もちろん主にとっては、見た事もないような品です。ビロードのケースの中で輝いているハサミは、主にはまるで宝石のようにも見えました。
ですから、少女がおどろくような値段をいっても、主にはそれがあたりまえのように思えたのです。主は、今度は、少女に店番を頼み、銀行へと走りました。少女はお金を受け取ると、また、
「必ず、店に置いてくださいね」
といって、帰っていきました。もちろん主が、そのハサミを店に置くわけがありません。
少女はそうして、ときどき、店に来ては、めずらしい文房具を置いて帰りました。
主の蓄えは、すっかりなくなってしまいました。それでも少女の持ってきた文房具に囲まれて暮らせれば、それだけでもう嬉しくてしかたなかったのです。
「こんなもの!」
店に置いてある文房具など、主にとってはもうガラクタにしか見えません。それでも几帳面な主は、品物をきれいに並べ、そうすることが、ほとほといやになっていたのです。
そんなある朝、いつものように店を開けようとした主は、店の中を見て、おどろいて立ち尽くしました。店の品物がすべてなくなっていたのです。
「どろぼう!」
そう叫んで、警察に電話をしようと、レジのところまで走りました。するとそこに、何枚もの紙幣と小銭。それから、『文房具は使うためにあるのです。文房具屋は、文房具を売るのが仕事です』と書かれた紙が置いてありました。几帳面な主は、店の品物の数を知っています。その代金を計算すると、置かれていたお金とぴったり合っていました。
「これは……」
代金を払って品物を持っていったのなら、それはどろぼうではありません。からっぽになった棚を、主は雑巾でていねいに磨きました。そうしながら、思い出しそうで思い出せないことを、懸命に考えていました。
「そうだ!」
あの紙に書いてあった言葉。それは奥さんが、しょっちゅう主にいっていた言葉と同じだったのです。主は家に帰ると、ガラス戸棚の中のノートを取り出しました。よく見ると、それはとても頑丈にできていて、いかにも『使うため』に作られたものでした。主はさんざん考えました。それから、このようなノートに書くのは『残しておきたいこと』だと考え、日記を書いてみたのです。
それはそれは、なめらかな書き心地のするページに、主はいつまでも、日記をつづっていたくなったほどでした。そしてこんなことを思ったのです。
「このノートを、だれかほかの人にも試してもらいたい!」
それから主は、少女から買った品を持って店に戻りました。それを棚に並べ、倉庫にあった在庫の品も運び、問屋に足りなくなった品の注文もしました。そうしているうちに、初めて店を開いた日のことを思い出しました。
それはそれは、わくわくしながら、店に品物を並べたものでした。お客がほんとうに来るのかと、不安で眠れずに開店の日を迎えたのです。初めてのお客の顔は、今でも忘れられずにいました。
「ぼくは、なんてバカだったんだ……」
それから、主は、心を入れ替えて、商売に励みました。めずらしい文房具を探して、自分で仕入れに行くこともありました。そうして、店はとても繁盛するようになったのです。
今では、口うるさかった奥さんさえ、なつかしく感じます。小さかったあの子は、今ごろ、どうしているんだろう……。
(それに、あの娘は、どうしたんだろう)
あれ以来、少女が、品物を持って訪れることはなくなりました。鍵のかかった店の中から、品物を全部買っていった客の見当もつかないままです。
そんなある日、ふたりの親子連れが、店に入ってきました。
「いらっしゃいま……」
口を開けたまま、主は、その先がいえなくなりました。
「おとうさん!」
にっこり笑った娘は、あのときの少女でした。となりに並んでいるのは、出ていったはずの奥さん。
「まさか!」
そうです。たしかに奥さんなら、鍵のかかった店から、品物を買うこともわけなかったのです。すっかり大きくなった娘に、文房具に夢中だった主は、自分の娘だとも気づけずにいたのです。
住宅街の角に、ぽつりと看板を出す文房具屋。店の主は、とても几帳面で、店の品はいつも、きちんと並べられ、その数までも、きちんと決まっているほどです。
店は、とても繁盛して、主は今、奥さんと娘といっしょに、とても仲良く暮らしているのでした。
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しがみねくみこ (日曜日, 11 9月 2022 16:50)
主は、あるじ、と読みます。(*^_^*)
昔に書いた作品です。