紅葉に華やいだ秋の山。

中でもひときわ紅く染まったカエデの木の前に、清二はカメラを構えて立っていました。

 朝日に輝くカエデ。

 陽だまりに揺れるカエデ。

 黄昏に影となるカエデ。

 足を棒のようにして、何度もシャッターを切りつづけ、そうしてフレームの中に、娘を見つけたのです。

 おどろいた清二がその手を下ろし、

「いつからここに?」

 すると娘は、

「ずっと」

 と、答えました。

 気がつけば、あたりは闇に沈もうとしています。

 清二はあわてて荷物をまとめ、山を下りることにしました。

 娘は、そのうしろを、ついて行きます。

 まるで、小鹿のように軽い足取りで。

 もうすぐ最終バスの来る時刻。

 山のバス停に停まるバスは、そう多くはありません。

(きっと、同じバスに乗るのだろう)

 清二は不思議とも思わず、足を速めました。

 案の定、娘も同じバスに乗りました。

 町へと続く道を、清二と娘を乗せたバスが走ります。

 一つ目のバス停を過ぎ、二つ目を過ぎ、いくつものバス停を過ぎても、娘は座ったままでした。

 少し離れた席から、清二は、ちらちらと娘を見ていました。

 まっすぐに伸びた栗色の髪。

 透けるような白い肌。

 大きな瞳を前に向け、きゅっとむすんだ唇は、素顔とは思えないほど紅い色をしています。

 赤いワンピースの膝の上で、握られた両手。

 それはまるで、何かを祈っているようにも見えました。

 清二は、ふうっと溜息をつきました。

 今日は、一日じゅう、カエデの写真を撮り続けていたのです。

(きっと、いい写真が撮れてるぞ)

 心地よい疲れが、清二を覆います。

うつらうつら、いつのまにか眠っていた清二は、

「虹ヶ丘、虹ヶ丘、お降りの方は……」 

 車掌の声に、ハッと目を覚まし、

「降ります!」

 あわてて、席を立ちました。

 バスのステップを降り、ショルダーバッグを持ち直した清二は、

「お客さん!」

 車掌の呼び声に振り返ります。

 そこには、ちょうど最後のステップを降りたばかりの娘がいました。

「お客さん、お金!」

 車掌は立ち上がるところでした。

その顔の険悪さに、清二はとっさに、

「ぼくが……」

 娘のバスの料金を払っていたのです。

 行き過ぎるバスを見送って、清二は溜息をつきました。

「君、お金、持ってないの?」

娘は悪びれるふうもなく、こくりとうなずきました。

清二は、もう一度、溜息をつき、

「どこに行くつもりなの?」

 すると娘は、だまって、清二の灰色のジャケットのそでをつかんだのです。

 清二は、三度目の溜息をつきました。

(家出娘かもしれない)

 娘を警察まで連れて行くには、清二は疲れ過ぎていました。

「好きにすればいいさ」

 清二はアパートへの道を歩き出しました。

 娘は、そのうしろを、ついて行きます。

 やっぱり、小鹿のような軽い足取りで。

娘は『楓』と名乗りました。

清二は、きっと嘘だろうと思っていました。

アパートにつくと、娘はあたりまえのように清二の部屋に入り、清二はあきれながらもそれを許していました。

「今夜、一晩だけだからな」

 袋に入ったパンを半分、楓に分けてやると、それをかじりながら、清二は眠ってしまいました。

清二は、夢を見ました。

それは、カエデの夢。

一面、あの紅い紅いカエデが広がり、その葉の向こうからまぶしい光が射していました。

「ああ!」

 素晴らしい光景に、カメラを手にしようと、清二が思わずつかんでいたのは、娘の……楓の手でした。

 清二は、楓と暮らすようになりました。

 あの、山のカエデに魅せられたように、知らず知らず、娘の楓に魅せられていたのです。

「いつか、プロの写真家になる」

 清二はいつも、楓にそういっていました。

「きっとなれるわ」

 楓は清二を勇気づけました。

 そうしてそれは、ほんとうになったのです。

 清二の撮った紅いカエデの写真。その写真が、コンクールで大賞に輝いたのです。

大きなコンクールでした。

清二は、プロへの切符を手に入れたのです。

パーティーに招かれ、雑誌の取材を受け、人々からもてはやされるようになりました。

個展の話が持ち上がり、名のある写真家たちとも交流を持つようになりました。

そうなると、清二には楓がうとましくなりました。

家出娘と暮らしていることなど、世間には知られたくなかったのです。

「別れてほしい」

 清二はいいました。

 けれど楓は聞く耳を持ちません。

 山からずっとついてきたときと同じように、清二から離れようとしないのです。

「別れてくれ」

 清二は何度も繰り返し、そうしてアパートから姿を消しました。

 楓は狂ったように、清二を捜しました。

 電話をかけ、町をさまよい、それから、

「きっと、帰ってきてくれる」

 清二の匂いのするアパートで、ずっと、待っていたのです。

 待って待って、待ち続けていたのです。

 けれど清二は、帰ってきませんでした。

 楓にはいつまでも、信じられませんでした。

 清二のいない部屋の中で、清二の面影ばかりを追っていました。

 コーヒーを淹れてくれる清二。

 カメラを磨いている清二。

「ただいま」

 そういって、部屋のドアを開ける清二。

 それから……。

山で一日じゅう、カメラを自分に向けていた清二のことを。

 待って待って、待ちつづけ、楓はとうとうさみしさに押しつぶされてしまいました。

 楓のからだは砕け散り、塵となって消えていきます。

 からだのなくなった楓には、もう何も手にすることはできません。

 清二が買ってくれたカップも、お揃いのセーターも。

清二の撮った、あの日の写真も。

 何もかもを置いていくしかなかったのです。

 

 楓は、山へ帰りました。

 あんなに美しかったカエデの木は、枯れ果てていました。

「何もかもなくしてしまった……」

あの日、紅く紅く染まったカエデは、熱く熱く身を焦がし、もう、じっとしていられなくなって、木から抜け出してしまったのです。

 

「おかえり」

 薄れゆく意識の中で、楓は、山の声を聞いたような気がしました。

「ただいま」

 自分の居場所は、ここにしかなかったのだと、楓にはあきらめるしかありませんでした。

 それはかなしいはずなのに、なぜか、心安らぐのでした。

 春。

 枯れ果てたように見えていたカエデの木。

その木に、小さな新芽が芽吹いていました。

 風がそよぎ、春の山には暖かな日差しが、燦々と降りそそいでいました。

 

 

コメント: 4
  • #4

    しがみねくみこ (水曜日, 14 9月 2022 19:33)

    こすちゃん、読んでくださって、ありがとうございます。
    大人の童話なので、アップするか、少し迷いました。
    素敵だといってくださって、嬉しいです。

  • #3

    こすもす (水曜日, 14 9月 2022 10:37)

    切ないお話。
    清二が気づいて戻ってきてくれたら・・・
    もう遅いけど。
    素敵なお話有難う!

  • #2

    しがみねくみこ (日曜日, 11 9月 2022 21:11)

    叶わなかった愛でしたが、楓の居場所は、ほんとうは、山だったのかもしれません。

  • #1

    しがみねくみこ (日曜日, 11 9月 2022 17:04)

    叶わなかった愛でしたが、楓の居場所は、ほんとうは、山だったのかもしれません。